響鬼1.jpg  長く生きてきて、「中年」と呼ばれるようになっても、仮面ライダーは見続けてきました。平成ライダーシリーズは、どれもそれなりに面白かった。  でも、自分の中では、今でも完全に「響鬼は別格!」です。心に残った深さ=不動の1位をキープしています。  なぜ、これほどまでに響鬼に惚れ込んだのか?揺さぶられたのか?自分でも、なんかよくわかりませんでした。  でも、ライダーを見て、こんなに泣けたことはない。こんなにワクワクしたことはなかったんです。  今はわかります。それは、テーマの良さと人間が丁寧に描き込まれているシナリオ・演技力の高いプロの役者さんがそろっていたこと。それらの相乗作用だったと思います。  96年に神戸児童殺傷事件で「酒鬼薔薇聖斗」と名乗る少年(当時中学生)が「透明な存在」という言葉を使いました。この言葉の反響は大きかったのですが、事件が重大すぎて、メディアでは、その問題に正面から答える番組って、なかなか出てきませんでした。  どこかで取り上げないのかと思っていたら、なんと仮面ライダーで、これに挑んできた。「少年よ」を初めて聴いて、鳥肌が立ちました。まさに、大人の側から、現代の少年の心情に立ち入って、勇気づけようとしていると感じました。  難しい問題から逃げるのでなく、(それも超メジャーな番組で)果敢に挑んでいく姿を見て、まず、その心意気に感激したのです。  こんな番組を世の中の大勢の子どもたちや大人が見て、日本全体にいい影響が出たらいいなと率直に思いました。  番組が終了して月日が流れたけれど、やはり、このまま終わらせるのは惜しい。なにか書き残しておきたいという気持ちで、拙いブログを立ち上げることにしました。  僕はマニアックなファンではないし、詳しいデータも取っていません。リアルタイムで真剣に番組を見てきた一般人です。ここで書くことは、直感であったり、主観的感想になるかもしれませんが、素直な気持ちを書かせていただきます。  間違った内容や不正確な記述があったら、ごめんなさい。まったく悪意はありません。  よかったら、僕の響鬼に対する思いや考えを読んでください。

2008年11月30日

響鬼の真相

saiamさん、すばらしいコメントありがとうございました。響鬼について同じ思いを持っておられる人に見ていただいて、本当にうれしかったです。初心者の拙いブログですが、また来てくださいね。

 さて、後半の変化の原因が、響鬼のテーマ性に関わっている。つまり、少年の自己実現の方向性を現実的な路線に修正するということが大きな要因だと、僕は考えたのですが、どうもそういうことではないらしいのです。

 前半の番組に対して、視聴者の反応は大きかったし、大好評だったと認識しています。少年の背景を丁寧に描き、気持ちを丁寧に描き、胸に迫るドラマを展開していました。視聴率も高かった筈です。大健闘、大成功の筈でした。

 でも、いろいろ調べてみると、響鬼関連のおもちゃの売れ行きが芳しくなかったようですね。(今更で、すみません。知りませんでした。)

 物語のおもしろさの軸に、童子と姫が魔化魍を山の中で育て、通りかかった人間をエサとして与えているという謎があって、その魔化魍を倒す方法が音撃しかないという設定でした。山に分け入って、狩りをする鬼というのが、新鮮でした。

 しかし、おもちゃとして売り出すには、太鼓・ラッパ・ギターなどでは、確かに売れないかもしれませんね。あまり武器らしいイメージではないような気もします。

 ということは、スポンサーのバンダイが路線変更を命じたと言うことなのでしょうか?もっと売れる武器に変えるとか、フィギュアにしろとか注文をつけて、監督や作家まで変えてしまったのか?

 もし、そうだとしたら、ドラマは商品を売るための道具としか思えませんね。ドラマが、その作品としての自立性・独自性を貫けないで、自分たちの責任でない理由で変更を迫られるとしたら・・・。やはり、いたたまれない気持ちになります。
 メディアに乗る作品は、スポンサーの販売促進に貢献することが全てなのでしょうか。どんなに内容が良くても、ここがクリアできなければ生き残れないものでしょうか?
 僕が響鬼を通じて感じたものは、そういったメディアのあり方に対する疑問です。資本に気に入られなければ、排除されてしまうとすれば、あまりにも偏った世界ではないかと思います。
posted by ホーサク at 23:45| Comment(4) | TrackBack(0) | 仮面ライダー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする